きょうは天気がよかったですね、初夏。
僕はきょう大変重要なことに気付いてしまいました。
デザイナーは往々にしてスッキリ整然としたデザインを善としますよね。
ヘルベチカのように信頼感があって行儀正しいデザイン。
でもデザイナーではない人、語弊があるかもしれませんが
その他大勢のことをみんなと呼ぶことにして、
みんなからするとそういうシンプルなデザインはつまらないし
もっと遊び心のあるものはないの?という反応を示されることが、
多いなあと感じていました。
画面構成や立体構成にしても
複数の造形言語を織り交ぜた、玩具や缶チューハイのパッケージのような
賑やかなデザインが、スッキリ好きデザイナー推しのすっきりしたデザインを退けて
最終的に選択されることが多いように思います。
念のため補足しておくと玩具や缶チューハイのパッケージは目に楽しく
感情を高揚させることに特化している。そういうデザインです。
すっきりしたデザインを作る仕事も賑やかなデザインを作る仕事も
等しく手間がかかる割に、
前者の方がデザイナーにウケやすく、
後者の方がみんなにウケやすい。
( 読者の皆さんの中には共感してくれる人もいると信じて、話を先へ進めたいと思うのですが。)
これは一体なんだろうか、永遠に相容れない問題なのだろうかと
3年ほどもやもや考えていました。
そして、今日ふと気づいてしまったのです。
みんなは「絵」を見ることに飢えている!!!!!
絵をみることは楽しいし、賑やかな方が面白い。
それはとても単純なことだし、自分も感じています。
ですが、みんなに比べてデザイナーは日々膨大な量の絵を見ています。
(すべてのデザイナーがそうとは限りませんが)
少なくとも僕は
朝起きてタンブラーをして仕事で絵の資料を集めて眺めて
仕事用の図や絵をかいて立体をつくって
夜にはツイッターやピクシブやドロワーに流れる絵をチェックして
趣味の絵を描いています、毎日のように。
だからもう賑やかなのはオッケーなのです。
うん、そういうのはね、オッケー、洗練した絵かきたい!
ってなるわけです。ローラだよ〜
それに加え、たくさん絵を見ている分
好き嫌いがはっきりしてきます。
ここも割と重要というか当たり前なのですが、
複数のデザイナーが見ても共通にいいと感じられることは、つまり
デザイナーの価値観として一般化された大きなものから
抜き出してきたものであって、個の価値観ではないのだな、ということ。
それは歴史とか、現代の工業技術のなりたちとか
デザイナーにとっていつの間にか当たり前になっていることで、
デザインをする上での鍵となる価値観では、あるのですが
みんなにとっては、そんな価値観など取るに足らない事なのです。
それがみんなの求めているデザインと、デザイナーの目指す理想とのギャップです。
この気づきが今後、自分にどんな変化をもたらすのか、想像がつきませんが
きっととても重大なことに気が付いたような
気分です。
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しろくんとめろさんを描きはじめてそろそろ1年くらいです。
はじめは音をテーマにしたデザインの作品を作ろうと決め込んで
いろいろデザインっぽいスケッチを描いていたのですが、
結局自分は漫画やイラストが大好きで
僕の畑にはそういう肥やししかなかったのだと気づき、
ならば、とようやく素直にやり始めたのが確か去年の梅雨ごろでした。
僕は絵を描いた時の情景をはっきり覚えていることが多いのですが、
この絵は思い出せないのです、どんな場所で、なぜこういう絵が描きたくなったのか
あまり描きながら考えたわけではなく、
ずっと頭の片隅にあったことを読みながら描きだしていくような
感覚だけをうっすら思い出せます。
兄弟がほしかったのでしょうか。
まだとちゅうです、
秋に展示ができるように
大きな作品やシルクスクリーンに取組むのは
今の仕事が一段落して、
夏のピークを過ぎる頃です。
風立ちぬ、楽しみですね。
おわり
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