2013年7月1日月曜日

週末のいろいろ








(追記7/6 僕の文章の書き方が悪くて一部の方を不快にさせてしまいました。申し訳ありません。括弧内に補足を追記します。)


先週末アトリエでいろんな種類の人と話し混乱している。

まず日本画の卒業生
描いた絵を売って生活している人たち


デザインの絵はすごく説明的で
アートは個人的だという話、うろ覚え
なんだかうまく理解できなかったのではっきり書けないんだけど
絵を作っているとき、他者に伝えたいことっていうのは特にない、でも
作りたいものっていうのがはっきりと存在していて
それを作っている、みたいな話。

僕の考えでは、作ることは、目に見えない意思や意図を
目に見える形にすることであって
見える形にすること=他者に伝えること、
だと思っていたのだけれど、

その前提にそもそもギャップがあって、
自分で作りたいものを自分で作って
自分で見てそれで彼らの目的は達成されている、
そのために絵をかいている人がいる、と
いうような感じを受けてふ~~~~ん?????と思った。



別の話、



大きい絵(4mくらい)は
誰も買わない。置く場所がないから。
でも描く、大きい絵を描くことは気持ちいいし
自分の表現したいことを具現化しやすいから。
あとは展示空間を作りたかったから。

これもなんだか自分にはよくわからなかった。
売れないのわかってて大きい絵かくの?
売れるような大きい絵かけばいいのに

展示空間に来た人を楽しませるとか
自分で楽しむとかっていうのはわかるんだけど
その前のその、自分の表現したいものをつくって、
でもそれは何か(売るとか)のためにつくるわけではない、とかが
やっぱりよくわからない

今の自分はまず絵を描いて、
それが自分の表現したかったものかどうか、
次もっとイメージに近づけるためには
どうしたらいいか考えて、

どうしたらより人に伝わるだろうなとか
作られて展示された後の絵は誰に引き取られて
どういう道を辿るのかとか、

「売れる」ということが最終目的ではないにしろ
「伝えること」がつくる目的のかなり大きなウエイトを占める。

伝わらなきゃ売れないし、
やっぱり売れなきゃ作る意味ないのではって思うんだけど。
そう思わない人も結構いるらしい。

こう改めて書いてみると自分はすごく人に媚びてるみたいな感じがする
でもそこ考えないと次に進まないのでは??
と思い結局よく理解できなかった。

僕は自分にしろ他人にしろ、
お金を出して買いたくなる絵をかきたい。

買い手がついても売りたくない、っていうのならわかるんだけど。


(追記7/6ここまでの内容で誰かに文句を言いたいとか否定したいとかそういうことは一切ありません。日本画作家とひとくくりにしてしまったように読めるかもしれませんがあくまで一部の人と会話をして、自分が勝手に感じた印象がここにメモとして書かれています。)



次の日



高校の同級生のマーケッターとプログラマのやっている新しいことに
デザイナー枠でお手伝いさせてもらっている。
会社でやっているようなデザインのセオリーが通用しない分、学ぶことがすごく多い。
会社ではこれでもデザイナーの役割がはっきりしていて、
決められた範囲の中でしかやっていないんだなあと実感する。

自分は僅かなグラフィックデザインの知識と技術を総動員してやっているつもりでも
彼らからしたら求めていないようなことに力をかけていたりして
コミュニケーションの重要さが身に染みている。
しゃべりながらスピーディーにデザインを完成させる技術をつけたい。
絵の力だね。

リーダーのやりたいことがはっきりしているからすごくやりやすい。



その次の日



コンペの作品を作っている。
多摩美の同期とふたりでやっている。
コンセプトは相方の方にあるから

僕はほぼエンジニアとして模型を作っている。
その図式がとても今の職場でのデザイナーとエンジニアの関係に似ていて
僕はエンジニアを疑似体験できてとても勉強になる。

デザイナーには確固とした意思が無いとエンジニアが困るし
あまり技術に寄った提案ではエンジニアが成長しない。
エンジニアは自分の得意とする技術をデザイナーに提示する必要があって
デザイナーは求めるものとその周辺の許容値を提示する必要がある
両者の接点を見つけ、互いに成長できる道を選ぶことが
よいものづくりへの近道だと思った。



(追記7/6ここまでも否定的な意志は一切ありません。しいて言えば2年前初めて製品デザインを担当してエンジニアの方と接したときに感じた、自分の無力感とか「なんでうまく伝わらないんだろう」とか、どういう提案が両者にとってよいのか、といういろいろが掴めた気がして、当時の自分を戒める気持ちを込めて書きました。)



プロダクトの人たちは本当にキレイ好きで性に合わない。(→デザイン棟はキレイ過ぎて落ち着かない。絵画棟のアトリエのニオイが好きだ。追記7/6)

彼らからしたら草野は本当にだらしなくて汚いし付き合いきれないと思われている。
キレイなのはいい。環境はキレイなほうがいい作品が作れるし
ちゃんとごはんを作ってゆっくり食べてしっかり寝た方が健康でいられる。

でもあんまりそこに労力とか時間とか、お金を費やすくらいだったら
僕は制作にエネルギーを注ごうと思う。

(追記7/6 うんまあこれは、書き方は悪いと思うけど本音なので訂正しません。アトリエとか画材にお金や時間をかければ高い服とか買えないし、Tシャツたたむ時間あったらスケッチかくよっていう感じのことです)


僕の考えでは人が費やせる労力の定量は決まっていて
あんまり体裁に気を使ってるやつはだいたい仕事ができない。→(人は体裁に気を使い過ぎている時はあんまりいい仕事ができない。追記7/6)

それに僕の好きないいものを作る人は
ある程度散らかっているから、僕が変わるつもりもない。


(追記7/6

×プロダクトの人たちは本当にキレイ好きで性に合わない。
→○デザイン棟はキレイ過ぎて落ち着かない。絵画棟のアトリエのニオイが好きだ。

僕はデザイン棟より絵画棟の雰囲気が好きです。理由は落ち着くからです。心が安まるからです。逆の人もいると思います。正直そういう人とは好みは会わないと思います。
価値観を強要されるのは嫌いですが、好みの会わない人が嫌いというわけでは断じてありません。育ってきた環境が違うからすれ違いはしょうがない!
価値観は違っても尊敬しています。僕は自分が尊敬している人としか話しません。

×あんまり体裁に気を使ってるやつはだいたい仕事ができない。
○体裁に気を使い過ぎている時はいい仕事ができない。

ここでの体裁に気を使い過ぎている奴というのは大学1-3年の自分のことです。

自分は美大に期待したことが得られずクラスにも馴染めなくてイライラしていました。当たり前のことだとは思いますが、クラスに馴染むためになんとか
自分を誤魔化して適当にやっていました。それは辛かったし、結局自分はなにも変われませんでした。
例えばセブンイレブンの有名グラフィックデザイナーの整然とした事務所より、フランシスベーコンのアトリエの方が好きというだけです。これはもう多分変わんないよ、ということをなんとなく宣言したかった。)




その夜



アトリエメンバーと雑談した

同期と話すとなにかと登場するたつまくんの
iPhone色の器の話を聞いて衝撃を受けた
多摩美にいた頃はまわりに面白いことやってる奴がいっぱいいたから
自分も傑作を作らなければならないと焦っていた。

卒業してからマイペースに絵をかいて
ようやく少しずつ実力がついてきたなあと実感していた
遅々とした歩みではあるが前進している。


今少し焦っている。
傑作は、焦りの中からは生まれないと思うけれど
体力のようなものはつく気がする
しばらく走ってみようかな。


(追記 7/6 さいごに、アトリエのメンバー、このブログでなんか嫌な気持ちになったりしていたらごめんなさい、メンバーを否定する意志はありませんし、そもそも不満とかないです。

距離が近い分、ひょっとしたら誤解が生じているかもと後になって気づきました。
以後気をつけます。

逆に、僕に不満あったら遠慮なく言ってください。できる範囲で改善します。

いつもいろんなことを教えてもらって感謝しています。僕もみなさんになにかお返ししたいです。)





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