2013年5月22日水曜日

ファンタジーは瞳を閉じるために生まれた






ファンタジーは瞳を閉じるために生まれた
ゆったり溶ける光と影
その間に流れる音
いろんなことが心に湧き上がってぼろぼろ涙しながら描いた絵

いや、比喩でなくほんとに泣いてた。
明け方ですごく眠かったってのもあるけど
でその後ツイッターで兄妹の話を見たんだよな
それと絵の話、それでまたグワッときたけど
べつに我慢せずに泣いた。

" 僕は小さい頃からいつもひとりで絵をかいていたから、
友達とお絵描きをしたかった。
だから、絵を特別なものにしたくないっていうのがずっとあって、
たぶん無意識に絵を易しくしようとしていたんだと思う。"

そういう時もある。




夢の中、晩春の波はゆらめいて
なんでもない幸せを見た


夢を見たんです。
やけにはっきり覚えているの、

" 長い夢をみた。
ちびちび絵を落としながらしらない大きな雨の場所でいろんな人に会って、
アイドルのいる文化祭で踊らされたり、豪華なホテルできれいな人に会ったけど、
それらは結局なんでもなくて、最後には昔の仲良しとズボンを交換して、
通行人のアジア人たちに写真をとられて、とても楽しかった 。"


要するにお金持ちになったり、人気者になったりすることは大切なことではなくて
ほんとうに大切にするべき人に素直になりたいという、拭えない後悔の気持ち。



福島県のとある施設に絵を飾るから、なにかいいものはないかと
友人が声をかけてくれて、

僕は今年の3月に原付で福島や岩手を訪れていたから、
思うことがたくさんあり、この4枚の絵を描いた。

東北の光は澄んでいて、
あざやかな緑と初春の風

出会った光や音とか、心細さとか
おだやかな時間が印象深い。



自分はなんのために絵をかいているんだろうとよく悩む。
人とつながっていたいとか、自分の力を無駄に寝かしておきたくないとか、
自分本位な理由ならいくらでも出てくるが

それだけでは足りない。
きっと、そう、そんなことで人は絵を見ていない。
僕自身、他人の絵を見るときはそんなこと考えていない。

ツイッターで自分の絵を見てくれる人がいる。
お気に入りしてくれたり、リツイートしてくれたり、
コメントをくれたり、リクエストをくれたり
ほんとに嬉しい。感謝しています。

自分の絵をツイートするとき、
僕はこの物語の成長を楽しんでいる。

今日は昨日よりいいのが描けた
面白いと思ってくれる人がいるかもしれない、
そういうような心持ちでいる。

いつもツイートをした後には
自分はなにをしているんだろう、
なんでこんな絵を描いたんだろうと
わからなくなり

それから優しい誰かのふぁぼやコメントに
なんとなく救われたような気になって
次の日にはまた何か描こうかなと思っている。

素敵な絵を素敵たらしめているものはなんなのだろう。
描いていたらわかるものだろうか。



なんだかわからないけど
僕はこの2人すきだな


0 件のコメント:

コメントを投稿