2012年7月17日火曜日







フィールドレコーディングをしていると、どこにいても自動車の音が聴こえることに気がついた。
風が耳をなでるたびに「ホー」とか「サー」とか鳴ることや、
耳栓でふさいでも血流の響きがずっと聴こえている。

多分僕らは一生のうち音を聴かずにいることはないんじゃないかと思った。

デッサンが上達するとより深くものを見られるようになる。
ほんとはみんな見えているけれど、脳が制限をかけていて、
それを意識的にこじ開けていくことで見えるようになる。

見える分メモリ食うけど。

耳は目と違い物理的な開閉やピント合わせができないから、
制限は尚更複雑にかかっているのだろう。そう思うとなんにも聞こえない気分だ。

そんな風に思って、目隠しをして一週間生活したことがある。
でもそのときは触覚ばかりが鋭敏になった。聴覚はべつにいつも通りだ。
多分そういうことではなくて。

つまり生活に最低限必要な音の認識のレベルの一段階上に、
脳の入力設定を切り替える必要があると。

聴覚をひらくためには、知らない音を聴くことや、音の発生するのを感じることで、
音に関係する記憶の引き出しを増設していく必要がある。

車の音とはなにか、風の音とはなにか。言葉を解体していくこの作業は
デッサンの上達と同じだ。




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