2012年3月4日日曜日

サウンドプロダクト再開

drawrの卍の人の魅力
昨晩けいたにdrawrの卍の人の魅力を問われ返答できず。まとめました。


drawrの卍の人 http://drawr.net/shogo




まず僭越ながら卍の人評論から。卍の人ごめんなさい。


卍の人の絵にはデフォルメされた人物が描かれます。人の姿、表情がとても魅力的です。人の姿は共通観念で、わたしたちは人の姿から情報を読み取りコミュニケーションしていることを再認識します。卍の人の描く人物にはやわらかい光があたっています。デジタルペインティングならではのなだらかなグラデーションがファンタジックな空間を包み、照らし出された表情が絵をつくっています。エクセレントすてき!

わたしは今まで多くのデジタルペインティングを見てきました。ピクシブ、ニコ動の「描いてみた」、タンブラー、もちろんプロダクトデザインのスケッチも。しかし一線を画す卍の人の絵。

drawrと卍の人のシンクロニシティを感じずにはいられません。

デジタルペインティングは大体決まった手順で描かれます。鉛筆の下絵をスキャンし、デジタル上で線画、塗り、完成したらjpegに書き出してウェブにアップロードします。サイズや解像度に制限が無く、数多くのデジタルペインティングツールが存在するため塗りの質感は人それぞれなのがいまどきのデジ絵です。

一方でdrawrは制限が多いです。描き始めから完結までデジタルです。サイズと解像度が制限されているのでdrawr上では皆同じ条件で描きます。ブラシも四角と丸のみ、各8段階のサイズ。色も10色しかありません。ブラシは不透明と半透明の切り替えができるので画面上で混色します。とてもシンプルです。

卍の人はdrawrをとても効果的に使います。ツールに寄り添い少ない手数で洗練された絵を描く。

drawrは描いてるときの見え方と公開された後の見え方が同じです。だから無駄がない。卍の人の脳内にある表現の引き出しと構成力がdrawrと共鳴し合い見事に画面に描き出されていくさまが見て取れます。脳内のイメージを描き出し検証を繰り返す作業は彫刻的です。鉛筆デッサンや油絵的です。作品はつねに完成しています。


プロダクトデザインの工程は、いわゆるデジタルペインティングのやり方に似て、何度も変換作業を通過します。これが障害です。本来ならばイメージから完成までを一瞬でやりたいところを、まず手書き、発泡材での検討、レンダリング、図面化、3Dモデリング、モックアップ検討、金型制作、チェック、修正、塗装チェック、家電であれば基板やインターフェイス、グラフィック制作、ものができても試験試験試験修正。もしもわたしが魔法使いならとよく嘆きます。

嘆いてもしかたがないんですけど。

わたし思うにオーディオのデザインはもっと彫刻的であっていいです。完成品を壊し、高め、また壊す、繰り返しで洗練されていく。そうやってガスガス作れたらどんなに良いかと。


プロダクトデザインという職能の歴史は浅いです。1920年代アメリカに現れたそうです。それまでは技術者が外観デザイン設計を兼ねていたそうです。日本では戦後経済成長を経て現在のインハウスデザイン・スタイルが整備されてきました。50年経ちました。ツールはマーカーからデジタルへ、デジタルから3D入出力技術へと切り替わろうとしています。これからです。長い美術の歴史なら未だ洞窟に壁画描いてるくらいですよね。

そんな気持ちでわたしは卍の人を推しました。プロダクトデザインも豊かな表情を!未来あれ!です。

おしまい。


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ところで画像はネットで拾ったSさんのWのスケッチ。上のスケッチが初期、下のものは実際に量産されたモデルに近いです。上のほうが好き。(ソース
どう思いますか?わたしは格好いいと思う。これ出たら買うわ!!って。でも絵画作品とは違うんですよね。




デザインスケッチとプロダクトデザイン


大学でデザインスケッチを学びショックを受けました。独特のマナーが受け入れられず、プロダクトデザインの選択を後悔したりしました。まじで。デザインスケッチは下絵です。デザインスケッチは第三者に作りたい形態を説明するために描かれ、それ自体は作品になり得ません。デザインスケッチはプロダクトデザインの下図に過ぎないんです。

だからデザインスケッチは絵画として見たら全然サッパリ面白くない。面白い必要がないんです。絵画がロックミュージックだとしたらデザインスケッチは美術館の音声ガイドみたいなものです。わぁ言い得た感。


わたしは完成品に憧れます。完成品とは、サンプルではないもの、本物のことです。家電デザイナーはほとんどの時間をモックアップ、サンプル制作に費やし、完成品に触れる時間がとても短いです。家電の開発には時間とお金がかかります。億単位で。沢山の人、別業種の人の思念が混じりこむのは必然、かたちの純度は少しずつ濁ってゆきます。「でも自分だけの手で作れば、お金と時間がたっぷりあれば、完璧なものが作れます。」そんな言葉はチンクルホイで、いつも完成品に触れるのは最後の瞬間だけです。工場は中国で、作るのは工場の人なんです。
ほんとうは自分の手で作りたい。

焼きものに憧れるのは完成品への憧れからです。造形から量産まで自分で管理し「使えるもの」を作る。作りながらエラーを見つけてデザインにフィードバックする。本当は家電デザインもそうあるべきですよね。いや、そうすりゃいいんです自分で。もっとプラスチック成形を実践して知らなきゃいけない。

やっぱうちもNC加工機導入するかな…。スタイロカッターとも思ったけれどやはりスタイロは模型クオリティ止まり。うん決めたNCにする!けいた真似してごめん!パァー!


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で、デザインスケッチの話に戻ります。デザインスケッチは絵画にはなり得ませんが、かといって価値がないという話ではありません。
なん千個も量産され、何年も使用される製品の下絵ですからその価値は重大です。絵画とは価値基準が違うんでしょうね。
デザインスケッチが魅力的でなければ製品はきっと魅力的になり得ないと思っています。

魅力とは
絵画から感じる魅力とデザインスケッチから感じる魅力は別物なんでしょうか、わたしはその線引きができずにいます。格好いいプロダクトデザインをする人はきっと絵や彫刻も上手いんだろうなと思います。

格好いいにもいろいろありますが、わたしはひとえに生命感だと思います。新鮮な野菜は断面を一目でそれとわかります。同じようにプラスチックも紙も金属も素材が活きると光り方がいきいきします。いきいきして見えるのは、新鮮なモノを見分ける動物としての本能でしょうか。形状の構成を調和させ、いきいきとした光を描くことは立体デザイナーの役割だと考えます。


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人の顔をなんども描いていると、光の当て方がたいへん重要だとわかります。人間の顔は3Dの起伏で構成されているので光源の位置をずらすと光と影の位置が変わります、ハンサムな顔は、どう照らしても光と影のバランスが整っているんです。ずるいですね。
そういう立体を自分の手で作れずして、いい顔のプロダクトが作れやしねえだろ、と。
顔を描いているといつもだいたい5度くらい壁を破る感覚があります。破るのに成功すると生命感が宿ったように錯覚することがあるんです。でもこの感覚は本当に何度も何度も壊して身についたもので、今の自分に立体でそれをやる実力はとうてい無いと思います。

あぁ。つくろう。
つくろうと思います。サウンドプロダクト。
テーマは変わりません。
聴覚を変形するもの。




追加事項、樹脂成形すること。














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