2012年9月2日日曜日
目隠しをした時に気がついたこと
生活を遅くして、所作のひとつひとつを丁寧に味わうことの豊かさ
爪を切ること
声を出すこと
地面に立つこと
肌を伝う振動の
そのざわめきを感じて
人生は失速していく
グラスの水はきれい
これがおいしいね、とかあれがきれいだね、とか、そういう風に、感じたことだけを言葉にして
ぼんやりと過ごす時間や
空想を語ったり
絵をかいたりして
すごいなあと感嘆する
そういうやりとりは
まるで魔法のように
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5感を鋭敏にして、
所作のひとつひとつを丁寧に意識すると
それまで気付かなかった様々な感覚に触れることができる。
例えば爪を切ること。
爪を切ると音が鳴る。爪切りを器用につまんで、接点を目で見て、指先に刃の冷たさを感じて切る。
行為には触感が伴い
触感には光や音が伴い
そういうゆらぎのようなものは自分が意識するまえからそこに存在していたと気付く。
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5感を鋭敏にして、
所作のひとつひとつを丁寧に意識するためには
どうしても歩みを止めて、呼吸を止めて
じっくりとセンシングする時間
そういう状態に自らをシフトする必要がある。
そういう意味で僕は、人生の失速の過程にこそ
豊かさを見出せるというのが持論
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人生を加速することは身軽になること
走るためには、余分な荷物を捨てる決断がいる
自分にとってほんとうに大切なものは
走り続けないとわからない。
加速と失速を繰り返して最後に持っているものは
たぶん信用できる。
なんかすいません。高校生みたいだね。
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これがおいしいね、とかあれがきれいだね、とか、そういう風に、感じたことだけを言葉にして
ぼんやりと過ごす時間や
空想を語ったり
絵をかいたりして
すごいなあと感嘆する
そういうやりとりは
山並みの景色を眺めることに似てるのかな
自分のものにすることはできない
でも、なんか良い
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