2012年9月12日水曜日



何年か前に読んだ記事を思い出した。


あるべき大人像を模索していく - 狐の王国



昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識してても、届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。

いま、世界は事実上の無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。聞いてすらもらえなかった話を聞いてくれる人々にもどんどん出会える。

住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る。そんなのもそう難しい話ではなくなった。

広がりすぎた世界にいると、好奇心の満足することがない。飽きることがない。だって世界は無限だし。

好奇心を失うことが大人になることだった時代は、そこで終りを告げる。昔の大人から見れば、いつまでたっても子供のままに見えるだろう。落ち着くことがない。だってまだまだ新しいものが見えるし。

どう考えても若者論より「大人論」のほうが必要ですという記事。この内容には大きく共感するものがある。無限の時代に生きる我々は、新しい大人像を模索する必要がある。



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という記事。

学生の頃、可能性が無限に広がり過ぎて自分の立ち位置がさっぱりわからなかったのを思い出した。

あれは今の時代特有の感覚なのかね。

なんだろうね、僕は広げるのも狭めるのも両方必要だと思う。
いくら世界が広がっていても、人と人や、人とモノが関係を深めていくと必然的に狭い(というよりその人たちだけの小さな)世界が発生する。
クリエイティブは小さな世界を育てていくことなんじゃないかと思った。

小さな世界にも喜びはたくさんある。
それを見出せたらもう大人だと思う。


昨晩ねむみにまかせてわけのわかんない作文していた。

太陽のしたで食べるごはんがうまければ僕はそれでオッケー!


しろくんもうちょっと笑ってくれ


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